こちらは過去のメルマガを掲載しています。
パピーいしがみです。
今日は、よく皆さんからご質問を頂く「甘えのボーダーライン」
についてお話してみたいと思います。
私が「“甘えさせる”っていけないことでしょうか?」
とお聞きすると、ほとんどの方は
「“甘え”は必要だと思います」とおっしゃいます。
ですが、同時に、
「甘えは必要ですが、限度があると思います」
とも言われます。
「どうしてですか?」とお聞きしますと、
「甘えさせすぎると、わがままになるからです」
「甘やかしは良くないと思うからです」と言われるんです。
でも、本当にそうなんでしょうか?
又、そうならば、甘えと甘やかしのボーダーってどこなんでしょう?
同じように、皆さん、
「どこまで甘えさせて良くて、どこから甘えさせてはいけないのか、
それが分かりません。」と言われます。
そこで、今回と次回、2回にわたって、
この「甘え」について、考えてみたいと思っています。
まずは「甘え」って何だろう?という所から・・・。
それでは、テンコさんから頂いたメールをお読み頂けますか?
ここから・・・
パピーさん、こんばんは。テンコです。
いつもお世話になっています。
先日のお返事(依存と自立の件)とても納得しました。
というのは、まさに私は甘えさせてもらえずに育ち、
異常に「甘え(依存)」に執着していたからです。
そんな私の幼少期~成人までの事をパピーさんにお話したいな~、
と思ってメールしました。
私は、医者の父と看護士だった母の長女として生まれました。
私の下には4歳年下の妹、そして6歳離れた弟。
父は仕事で、あまり家におらず、
母がいつも忙しそうにしていました。
私は常に「お姉ちゃんなんだから」や
「もう一人でできるでしょ」と言われていました。
妹や弟への母の態度が私へのものとはかなり違って見え、
いつもさびしさを感じていました。
そんな私は母の愛情が欲しくて欲しくて、
「頑張れば、私の方を見てもらえる」
そう思って、こうやれば褒めてもらえる・・・。
こうやれば振り返ってくれる・・・。
そればかり願って頑張っていました。
とにかく私の記憶には「なぜ、私を見てくれないの?」
「なぜ、私ばかり怒るの?」「なぜ、私は褒めてくれないの?」
っていつも思っていた事しかありません。
甘えさせてもらった経験も無く、妹・弟が母の胸で眠るのを、
じっとさびしく見ている・・・そんな姿を思い出します。
たまに家族で旅行をしても、妹と弟のわがままを父と母は、
目を細めて聞いてあげるのに、私のわがままは一切許されず、
「お姉ちゃんなんだから」
「あなたはちゃんとできるでしょ」
「妹と弟が小さいんだからあなたはしっかりして」
でした。
幼稚園、小学校・・・どんなに頑張っても、
私は「お姉ちゃん」で「頑張って当たり前」
「出来て当たり前」だったのです。
そんな私は、小学校の5年生の時、
パタッと「頑張ること」を止めました。
その理由は明白です。
どんなにやっても報われない、って分かったからです。
急に自分のやっていることが虚しくなって、
母親のロボットでいるような気持ちになったんです。
「私が死んだら悲しんでくれるだろうか・・・」
食事を拒否し、学校へ行くことも拒否し、
習い事も勉強もすべて止めました。
「頑張ること」を止めた時、
今までこちらを振り向きもしなかった母が、
私に干渉するようになりました。
「どうしたの?」という風に
私の気持ちを聞いてくれればよかったのでしょが、
母がやったことは、私に対する叱責、強制、
罵詈雑言(ばりぞうごん)でした。
「あんたは小さい頃は良い子だったのに・・・」
「お姉ちゃんのくせに何をやってるの?」
「下の子達の模範にならなきゃいけないのに恥ずかしくないの?」
「世間様はどう見ているか知ってるの?」
「お母さんは恥ずかしくて外を歩けないよ」
母の言葉は、私に対する心配ではなく、
世間に対する自分の心配ばかりのように感じました。
その時「やっぱりお母さんは私の事が嫌いだったんだ」
と理解(誤解だったのですが)しました。
パピーさんがテキストの13章で、
「厳しすぎる躾は憎悪を生む」と話されていますが、
まさにその時の私は母に対する憎悪しかありませんでした。
私は「甘えたい」という気持ちに異常に執着して、
それが憎悪にまでなってしまったのだと思います。
中学もほとんど行かず、ゲームセンターに入り浸り、
タバコ、シンナー、カツアゲ、万引きなども経験しました。
警察や補導員にお世話になる度に母親は泣き、
それでも「恥ずかしい」を連発していました。
その言葉を聞くたびにがっかりし、更正するどころか、
どんどん悪くなって行きました。
ですがそれにはもう一つ。理由があったのです。
それは、私が所属していたグループには、
私の気持ちを理解してくれる人が何人かいたのです。
その子達の親は、いろいろでしたが、
(私と同じように医者の子供という子もいました)
共通する部分では、厳しい躾を受けていたり、
親に対して強い反発を感じていて、
そして「甘えさせてもらった」経験が無かったんです。
みんな親に“自分の存在を認めて欲しかった”んですね。
私達はお互いにお互いを理解し、認め合う事ができました。
彼らと一緒にいる時がもっとも心安らげる時であり、
素の自分を出せる時間でした。
パピーさんが「十分な依存(甘え)がないと、
本当の自立ができないだけでなく、
依存(甘え)に対する強烈な執着を持つ」
と言われていた、その通りの状況でした。
( 後 略 )
ここまで・・・
テンコさんは、その後、いろんな経験をして、
今ではもう過去の傷から癒えているようですが、
過去の自分の気持ちはこうだった・・・。
という事を教えてくださったんですね。
このメールはテンコさんに「依存と自立」についてお話した時、
お返事を頂いた内容だったのですが、
「甘えって重要なんですよ!」という事をご説明したら、
まさに、テンコさんは、この「甘え」が足りなかったんだ、
という事を教えてくださったのです。
この時、私はこんなお話をしたんです。
(加筆をしています)
ここから・・・
( 前 略 )
私達が自立をする為には、十分な「甘え」が必要なんです。
それは、なぜか?と言いますと、
私達は「依存」と「自立」を繰り返し、
「依存」できる場所があって(甘えることができて)
はじめて再び挑戦ができるからなんです。
例えば、乳幼児の時。
子供は、何も出来ません。ですからお母さんにべったりですね。
これは完全にお母さんに「依存」をしている状態です。
ですが、ハイハイができて、タッチができて・・・
徐々に自分からやろうとしだします。
自立が芽生えてきたんですね。
すると、だんだんさまざまな事に興味を持ちます。
おもちゃ(ボールや積み木)で遊んだり、
スプーンを使ってご飯を食べたり・・・。
ですが、最初からはうまくできません。
やってみて失敗したり思い通りにできないと、
癇癪を起こして、おもちゃ(ボールや積み木)を投げたり、
泣き叫んでテーブルをひっくり返したり・・・。
この「うまくいかない」時、泣いてお母さんに助けを求めます。
お母さんは、手伝ってあげたり、抱っこしたり、
あやしたりすることで、子供は落ち着きます。
その時、子供はお母さんに甘えることで安心するんですね。
お母さんに自分のすべてを投げ出して「依存」することで、
イライラする気持ちを落ち着かせることができます。
十分にお母さんに甘えて、落ち着くと、
又、おもちゃやスプーンに再チャレンジができます。
こうやって「自立」と「依存」を何度も繰り返すことで、
できない事ができるようになって行きます。
今、わかりやすく乳幼児で説明しましたが、
これは、成人した私達にもあるんです。
私達は、いやな事があると、誰かに愚痴を言いたくなりますよね。
そして、愚痴を言っているその言葉に「うんうん、分かるよ」
って言ってもらえると、なんだか安心しませんか?
そしてちょっと気が楽になったり、
「でも・・・頑張るしかないか?!」って、
その不満を受け入れて、でも、やる気になる事もあります。
これって、もし愚痴を“言うだけ”ですっきりできるとしたら、
壁に向かって話しかけても、鏡に向かって言ってもいいはずです。
でも、私達は「誰か」に聞いて欲しいんですよね。
そして聞いてもらえると安心するんです。
という事は、話を聞いてもらうその人に
私達は「依存(甘え)をした」って事なんです。
自分の気持ちをさらけ出して、
受け止めてもらって、安心できたんですね。それで楽になれたんです。
でも、このように「聞いてもらいたい」って言う時、
私達にも頻繁にないですか?ありますよね(^^)
そう。「依存(甘え)」って、
実は、私達が知らないだけで、常に私達にもあるんです。
甘えることで、依存することで、
沢山のストレスや不満などを乗り越えているんです。
今、お話したのは「依存(甘え)」が受け入れてもらえた時です。
ですが、そうでない時もありますよね。
例えば、
「お前、いくら愚痴を言ったって解決しないよ」とか、
「それはお前が間違ってるよ」とか、
「いい年なんだから、いい加減にしろよ」
なんて言われたら、どうでしょう?がっかりしますよね。
そして、嫌なことがすっきりするどころか、余計に落ち込みます。
ちょっとまとめますね。
まずは「依存」は私達にも頻繁にある、という事をお話しました。
そして、私達にもある「依存」ですから、
成長過程にある子供にはもっともっと多くあると想像できますね。
又、私達がそうであるように、
「依存」をして受け入れてもらえる(甘えられる)と、
すっきりしたり安心できたり、力が湧いてくるけど、
「依存」を拒否される(甘えさせてもらえない)と、
不安や不満は解消されず、
新たなチャレンジができなかったりするんですね。
特に「依存」と「自立」が頻繁にやってくる幼少期、
又は成長期に、十分に依存を受け入れられないと、
自立に向かわない・・・だけでなく、
甘えさせてもらえないことから、
「お母さんは僕の事嫌いなの?」と感じたり、
その不安がエスカレートして、
異常に依存(甘え)に執着するようになったりするんです。
大事なことですからもう一度言いますね。
「十分な依存(甘え)がないと、
本当の自立ができないだけでなく、
依存(甘え)に対する強烈な執着を持つ」ようになるんです。
( 後 略 )
ここまで・・・
このお話をした後、頂いたメールが先ほどの内容でした。
テンコさんは、甘えさせて欲しかった。
でも、いつもいつも甘えさせてもらえることはなかった。
常に「依存」を拒否されていたんですね。
それまでは何とかしてお母さんを振り向かせたい、
と思って頑張っていた努力も、無駄だと感じあきらめた。
それからテンコさんの様子は一変していくのです。
そんなテンコさんのご自分の過去を振り返った言葉が、
> パピーさんが「十分な依存(甘え)がないと、
> 本当の自立ができないだけでなく、
> 依存(甘え)に対する強烈な執着を持つ」
> と言われていた、その通りの状況でした。
だったのです。
どうでしょうね?
「甘えは大切だと思います」と思われているあなたも、
もしかしたら、子供からの「依存(甘え)」を
「もう出来るでしょ」とか「その位自分でやりなさい」
なんて言ってないでしょうか?
「甘やかしだから」と
「甘え」を拒否していないでしょうか?
次の「自立」に向かう為の大切な
「安心できる場所」を取り去ってはいないでしょうか?
そして子供さんは、異常に甘えに執着していないでしょうか?
もし、それが必要な「甘え」だったとしたら・・・
と考えると怖くなりませんか?
因みに先ほど、ご紹介させて頂いたテンコさん、
その後のご報告も頂いているんです。
ここから・・・
( 前 略 )
自分でやろうとしない、すぐに泣く、
そんなご相談をさせて頂いた息子ですが、
パピーさんからお返事を頂いて、
「息子は私と同じ気持ちだったんだ」と気づいて、
“私がやってほしかった”ように、やってあげる事を心がけたところ、
ほんの数ヶ月ほどで、驚くような変化が現れてきました。
例えば、朝起きて、パジャマが脱げない、着替えさせて~、
といつも泣きながら言っていて、
それに対して私は「うるさいな~」とか「めんどくさいヤツ」
「泣かずに自分でやれ!」と思って(言って)いたのですが、
「私もそうだった、母に笑顔でやってもらいたかった」
って思い出してからは、二つ返事で
「はい、こちらへいらっしゃい。万歳して~♪・・・ポン」
なんて、まるで小さい子を扱うようですが、
そんな風にしてみました。
そんな事が何日か続いたと思ったら、
だんだん要求する時に泣かなくなり、
着替えを持って私のところに近づいて(笑顔で)
「おかあさん♪ポンやって・・・」なんて言うようになったんです。
子供が泣いて、それに怒りながらイヤイヤやっていた時は、
笑って・・・なんて出来ませんでしたが、
なんかとってもかわいらしく感じ、私も自然と笑顔になるのでした。
日常生活でもそうです。
今までは「自分でやれ!」と思っていたことも、
「じゃあ、ちょっと手伝おうか?」と言って手助けすると、
とても満足そうで・・・・、
「これが甘えたい気持ちを満たしているって事なんだな~」
と感じていました。
そうこうしているうちに月日は立ち、
息子はさまざまな事にチャレンジするようになりました。
幼稚園の遊具など出来なかった事もできるようになったり、
又、うんていのように難しい遊びも手に豆を作って頑張っています。
でも、これって・・・以前では考えられなかったことです。
それもこれも「私が甘えを受け入れてからの変化」なんです。
本当に驚いています。
今ではパジャマも自分で着るし、脱ぐし、着替えるし、
歯磨きも自分からやります。
ぐずったり、泣いて懇願したり、できないできない、
と言っていた半年前がうそのようです。
甘えを拒否していたから、甘えに執着していたんですね。
( 後 略 )
ここまで・・・
テンコさん、貴重なお話をありがとうございました。
私達は、すぐに周りから
「甘やかせているからそんななんだ」という批判を受けます。
でも、私は違うと思っています。
「甘やかせているから」ではなく「甘やかせないから」
だとも言えるんですね。
「もう出来る事をやってあげたら“甘やかせ”になる」
そう思っておられる方は非常に多いです。
そして「甘え」を不足させてしまっている家庭が、
思いのほか多いように感じます。
今回は、「甘えって大事なんですよ」っていう事。
そして「甘えがあるから自立に向かうんです」っていう事。
その二つをお話しました。
「甘え」に関する前編だとお考えください。
次回は「甘え」に関する後編をお送りしたいと思います。
お楽しみに~♪(^^)
※ ここでは過去のメルマガを掲載しています。
最新のメルマガを無料でお読みになりたい方は下記で登録して下さい。
パソコン・スマホ用はコチラから → http://www.mag2.com/m/0000142684.html
ガラケー用はコチラから → http://m.mag2.jp/M0074457
ホームページはこちらです → http://www.age18.jp